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現場はいきなり厳しいものなのですよ

ITアーキテクトへの道 

チーム配属発表。ドキドキしました。

それは、結構行きたいチームと行きたくないチームが極端だったのですよ。

ですので、意中のチームに配属されたのは本当にラッキーでした。

まあ、自分で言うのは少し面映いのですが、いわゆる「花形チーム」だったと思ってください。

作っているシステムは当時としてはかなり先進的なものでした。なにしろインターネットが普及する前に電子メールのシステムを作っていたのですから。

今は通信プロトコル(規約)といえばTCP/IPぐらいしか考えられなくなりましたが、OSIの7階層モデルという考え方があって、それに則ったプロトコルや製品がいくつかありました。今でもディレクトリ・サービスなどはOSIの考え方に基づいて作られていますが、限定的です。

しかし、当時はこれからはOSIが通信の主流になると考えられており、IBMのSNAという通信アーキテクチャーもOSIに適用できるようリニューアルされたばかりでした。ただし、階層(レイヤー)という考え方は普遍的なものとして残っています。TCP/IPでもその考え方はあります。

で、郵政省(隔世の感がありますね)が作った国産のプロトコルでJUST-PCという電子メールのプロトコルがありました。こちらはメール端末のもつべき規約と思ってください。今で言えばOutlookのようなメーラーが持つべき機能と解釈すべきメール構文について定めたものですね。

受け渡しの方、つまり今で言えばSMTPやPOP3のようなものは、MHSというOSIのアプリケーション層のプロトコルが受け持っていました。しかし、MHSなんて言葉よく覚えていたな。

このときのシステム構成は、メールボックスがIBMの汎用機に存在し、PC(IBM5550でした)にメーラーが存在していました。で、今では何でそれがあったのかよく憶えていないのですが、ゲートウェイ(中継機)としてUNIXのサーバーがあったのです。多分MHSのUNIX用のパッケージソフトがあったのでしょう。汎用機はメール用の箱と運用機能を提供していただけだったと思われます。

お客が東京の会社だったので、東阪共同開発でした。東京側がなぜかど真ん中のUNIXの開発を受け持ち(しかも沖縄の技術者を使って)、大阪側は両端の汎用機とPCのシステムを作っていました。

とりあえずシステムのレクチャーを受けましたが、ちんぷんかんぷん。今書いててまったく良く分かっていなかったことを痛感しています。

ぼくは汎用機チームだったので、とりあえずはIBMの通信方式であるSNAを理解することから始めることになりました。これにはVTAMというプロダクトの理解がキーになります。

通信と言っても、コンピュータから見れば所詮はI/Oなので、ファイルへのアクセスとなんら変わるところはありません。OSがアクセスを仲介する特殊なメモリ領域とAPI(アプリケーションプログラムインターフェース)を用意するだけのことです。その先がディスクならOSはそれなりに処理するし、通信アダプタならそれなりに処理する。それだけのことです。

この特殊なメモリ領域とAPIを称して、汎用機の世界ではアクセスメソッドと呼んでいました。VTAMも通信用のアクセスメソッドの一種です。

ここまで分かれば後は段階を追っていけば簡単なのですが、なんでシステム技術者向けのマニュアルというのは、単純な図からいきなり詳細に飛ぶのでしょう。中間のことも当然書いてあるのですが、詳細に紛れて、頂点に至るまでの階段がまったく分からないのです。

ただ、その辺を早い段階で試行錯誤できたのが良かったのでしょう。例えばJavaのコンテナといわれても、おそらくこういうやり方で実装しているはずだというのがなんとなく分かるのです。

この項は、「ITアーキテクトへの道」という話でしたね。ITアーキテクトとは、つまるところこの「なんとなく」をたくさん持っている人ということができます。これだけは憶えていてください。

わき道が長くなってしまいました。

現場は厳しいというのが今日の主題です。

初日の課題がいきなり厳しかったのです。

200ページぐらいのVTAM入門者向けのマニュアルを、育成担当の先輩から朝いちにポンと渡されました。

「今日の夕方にどこまで分かったか質問するから、一冊読んでおけ」

入門者向けとはいえ、プロ用であるのは間違いありません。ムリですという言葉が喉まで出掛かりました。
表情が読まれたのでしょう。

「安心しろ。本というのは1時間で読む読み方、1日で読む読み方、もっとじっくり読む読み方、いろいろある。1日で読む読み方をしろ。質問もそのレベルだ」

名言のようですが、抽象的でもあります。しかし、それならとこちらも読む勇気が湧いてきて、なんとかその日の課題はクリアできました。

実を言うと私はこの育成担当者にいまだに反発している部分と、いまだに恩義を感じている部分の両方があります。これはどういうことか、この連載で追々分かって頂けると思いますが、まあ社内でも評判の癖の強い人ではありました。

さて、実を言うと、そのような課題を出すのは、その先輩が多忙だったせいもあるのです。何しろ東京出張の多い仕事でしたから。

しばらくほったらかしになりました。そこで、こちらはとりあえず課題図書を設定して、読みふけっていたのです。当然残業なんかしない(笑)

2週間ぐらい立ってからでしょうか?

「そろそろ勉強は終わったか?明日から仕事してもらうぞ」

これは今でも心に残る厳しい言葉です。ほったらかしにしてたんはアンタやろ、と言いたくなりましたが、社会人はそれではダメなのです。憤りと恥かしさがない交ぜになりました。

しかし、本当に厳しいのはこれからでした。

--- つづく ---

コラム執筆: ITブレークスルー森川滋之 : 2007年03月26日 14:19

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