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はじめはOSもよくわかっていなかった

ITアーキテクトへの道 

1987年4月に東洋情報システム(現TIS)という会社に入社しました。

ぼくは、文学部の出身です。国史学を専攻してました。

当時は、SIベンダーの募集は男子では理系だけだったんだけど、先方から葉書も来たことだし、教職も取っていないはぐれ文学部だったので、受けてみることにしました。そしたら、何が良かったのか今でもよく分からないのですが内定をもらえてしまったのです。

4回生(関西の大学では4年生とはいわないようです)なのに、48単位も残していたし、文学部は卒論もなかなか大変だったので、就職活動はこれで打ち切りました。学生時代の内定はこれ一個だけです。

87年ごろというとバブルが始まっていたと勘違いしている人もいるようですが、私が内定を貰った86年は円高不況で、内定もらっても500円のランチをおごってもらっただけ(T_T)。内定者の拘束も会社で2日連続の講習会。しかも冷房が壊れていたのをいまだに憶えています。

まあ、それこそバブルの頃に取り返しましたが。後輩が来たら、もう無理やりステーキだの寿司だのに連れて行って、会社もそれを奨励していた時代です。映画になるわけだ(笑)

このころは、16ビットの8086でMS-DOSが動くPC9801がデビューした頃でした。ぼくもパソコンは持っていたのですが、1世代前の8ビットマシーン。当時パソコンを持ってた人は、だいたいが今でいうハッカーのような腕を持っていた人が多かったのですが、ぼくはせいぜいBASICでプログラムが組めるぐらいでした。

それでも入社したら、そこそこコンピュータを知ってる方でびっくりしました。

ただ、最初はOSという概念も良く分からなかったんですよ。

8ビットのマシーンにはOSというものがなかったんですね。正確に言えばCP-MというOSがありましたが、日本ではCP-M上で動作する市販のアプリケーションが殆どなかったので、全く普及していませんでした。いちおうCP-Mは持ってたりもしたのですが、ファイルの一覧を見るぐらいしか使い道がない。。。しかもBASICで作ったファイルは見られないし。

ぼくらが入社した頃は、SEはまだまだ汎用機のシステムを作っていました。IBMのOSは、コマンドをたたいてファイルの一覧を見るという感じではないんです。だから、ますますOSって何?って感じで(汗)

※正確にいうと、TSS(IBMの製品名はTSO)というのがあって、これはDOSプロンプトやUNIXのシェルと似たようなものです。というか、DOSやUNIXが影響を受けたんだと思います。

これからは、コンピュータで通信だろうとなかなか先見の明を持った若者(笑)ではあったのです。それで通信関連の部門を希望したのですが、そんな人間を、本人の希望とはいえ、アセンブラでOSのシステムコールを呼びまくるプログラムを書く部門に配属した会社もとても勇気があったんだなあと、変な感謝をしています。

--- つづく ---

コラム執筆: ITブレークスルー森川滋之 : 2007年03月06日 23:58

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